にじのかけら

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【一揆とは】みんなで行動すれば怖くない!その目的とは?

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「一揆」といえば、どんなイメージがありますか?

 

皆が一致団結して、領主や大名といったお偉いさんに物申しにいく感じ?

まさにそれ!皆で行ったら怖くない!ってやつかしら。

 

 

ひと口に一揆といっても、年代によって様々な形態があります。そこでまずポイントとしてあげるとこんな感じになります。

 

ポイント!

・「一揆」とは、武士や農民が同じ目的の下、地域的な集団を作ること。

・神仏に誓約して、皆一体となること。一致団結。

・一揆の内容、目的は似たようなものだけれど、時代によって意味合いが異なる。

 

ということで、時代を追いながら一揆の変遷を見ていきましょう!

 

 

まずは一揆の流れを見ていこう!

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「要求を達成する為に一致団結して立ち向かう」という根底は変わらないですが、発起人や目的は様々です。

代表的な一揆の形態について順番に見ていきましょう。

 

土一揆

土一揆とは、近畿地方を中心にした、その土地による土民の反抗の事をいいます。

 

これまで血縁的集団で決起して行動を起こすことはあったのですが、こうやって地縁的な結合、つまりご近所の集団で武装蜂起することがありませんでした。

 

この土民たちの言い分は、荘園領主や守護大名に年貢や夫役の減免を求めたものでした。

 

もういいかげん、しんどい思いをして、年貢年貢いうなっ!みんなで押しかけるぞっ!

 

ってとこですね。

また、徳政令を目的とした土一揆、「徳政一揆」というタイプもありました。

 

徳政一揆

徳政。つまり債権・債務の破棄を求めたもの。

高利貸の圧迫を受けた京都など、畿内の都市周辺でおこる。

徳政令発令。

 

また、一揆もとや、大名・領主が勝手に徳政令を発令してしまうという「私徳政」

 

そして幕府が債務の破棄を認めるかわりに手数料をとる分一銭というのもあり、これを目的とした徳政令なんかもありました。

 

結局幕府も儲けようとするのかというがっかり感。

幕府とはそんなものです。

 

そして徳政を求める一揆は大きなものもありました。

 

・1428年の正長の土一揆

近江の馬借の蜂起をきっかけに、私徳政を発令したもの。幕府と抗争。

・1441年の嘉吉の土一揆

播磨の守護、赤松満祐が将軍足利義教を謀殺した事件、「嘉吉の乱」後、新しく就任した足利義勝に対して「代始めの徳政」を要求したもの。

 

地侍たちが指導し、数万人もの人々による一揆が起こったのです。

そしてこの時は全国一律に徳政令が出されるという、とても大規模なものになったのです。

 

国一揆

15世紀頃に起こったものが国一揆。

「山城の国一揆」などが有名どころですね。

 

この一揆なんかは、南山城の国人・土民が

 

①両畠山軍の退陣を求める

②寺社本所領の還付

③新関の廃止

 

を要求したもので、宇治の平等院で国中掟法を制定しました。

その後はなんと8年間も、36人の月行事が南山城を支配する、という事態となったのです。

 

国一揆とは主に

 

国人や地侍の指導のもと、土民たちが起こしたもの

守護大名などの支配から在地領主権守るため。

 

惣の土民が起こしたものだったので、惣国一揆ともよばれました。

 

一向一揆

この一揆は少し特徴があって、時期は15世紀~16世紀末あたり。本願寺の門徒による一揆でした。

 

ここで宗教的なものがからんできましたね。

 

有名どころとしては「加賀の一向一揆」ですね。

 

1474年、武将で守護大名だった冨樫政親と加賀の一向宗人と結んで、政親の弟を破る事件があった。

 

その後1488年には政親は敗死し、そこから約100年もの間、国人・坊主・農民の寄合が自治的に加賀を支配するという、とんでもない事態となったのです。

 

一向一揆では信長や家康なども地方で戦っており、本願寺勢力がかなり大きな存在となっていたようです。

 

百姓一揆

江戸時代になっても、過度な年貢・高利貸による圧迫・役人の不正…問題はつきません。

 

この時代には、農民たちによる運動が盛んとなり、

・代表越訴型一揆

・惣百姓一揆

・世直し一揆

など、政治的な理由をふまえての一揆が一気に増えていきます。

 

農民一揆

明治以後になってもまだ一揆は続きます。

農民による徴兵令・学制・地租改正などに反対するものです。

 

一揆をする上での約束事

一揆はみんなで力を合わせて、気持ちをひとつにして立ち向かう。そんな意味合いもあり、一揆を起こす際に儀式をしました。

 

・一味神水(いちみじんすい)

みんなで連帯・平等を意識し、神水を飲んで誓約するもの。

 

・傘連判状

誰が首謀者かわからぬよう、円になるように放射状に署名し、一致団結を誓った連判状。

 

このような約束を交わし、いざ参らんと一揆をおこしたのです。

 

まとめ

一揆は時代と共に、規模も目的も大きくなってきたように感じますね。

農民や武士といった人々が、同じ目的を持って権力者に立ち向かう。

 

いつまでも言いなりにはならないという強い気持ちが、人々を動かす原動力となり、一揆という形で現実のものとなったんですね。

 

 

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