にじのかけら

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【享保の改革】とは何か。財政難を乗り越えろ!

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こんにちは。lalaです。

今回は江戸の三大改革の一つ。享保の改革について取り上げたいと思います。

 

享保の改革のポイントとしては、

享保の改革ポイント!

・財政の再建

・米価の安定

・新田開発

・法制度の整備

・殖産興業

 

がメインの政策となります。

それでは江戸初期に行われた享保の改革について、解説いたします!

 

 

徳川吉宗による政治

 

享保の改革は、1716年〜1745年にわたって、8代将軍徳川吉宗により行われた幕政改革です。

 

元禄年間あたりからの財政難のツケがここにきて徐々に大きくなり、吉宗の頃にはかなり大きく膨らんでいました。

 

そのため、吉宗の政策としては、主にその財政難による幕府の財政を回復させる対策がとられることになったのです。

特に米価の安定こそが景気回復のミソだろうと言うことで、米関係の対策に力を入れていました。

 

吉宗が「米公方」と呼ばれる所以ですね。

 

年貢対策

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収入アップのためにはまず農産物の確保ということで、

・新田開発

・農産物の増産

・定免法による年貢の確保

・甘藷などの栽培

が行われました。

 

新田開発により農産物をたくさん作らせ、これまで過去5〜10年ほどの収穫高を見て、それを元に税率を決めました。これが一定の税を収めさせる定免法です。

 

税率が一定であることで、収入も安定していくようになったのですが、農民にとっては、その年の豊作、凶作関係なく徴収されたので、凶作の年なんかは、さぞかし苦労したかと思います。

 

米の他対策として、備蓄用も兼ねた甘藷や櫨(はぜ)甘蔗(かんしゃ)などの栽培も認められることになりました。

 

目安箱の設置

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このような対策の中、庶民の素直な声を聞くため、「目安箱」が設置されました。

この目安箱は決まった時間、決まった場所に設置されたポストのようなもので、最大の魅力としてこの投書箱は、将軍自らが開封し将軍が直々に読んだことにありました。

 

目安箱の設置により庶民の思いを受け入れることができ、のちに設置された小石川養生所などの病院施設も、この目安箱がきっかけとなったのです。

 

 

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訴訟問題

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この頃の訴訟の多くは、旗本・御家人などによる金銭問題についてのものでした。

とにかく金銭問題での訴訟が多かったので、評定所や奉行所の負担が大きかったこともあり、当事者同士で話し合い解決しなさいという法令「相対済し令」を出しました。

 

当事者同士で話し合いを持つことにより、その負担を軽減させたのです。

 

また、幕府の成文法として、上下2巻からなる「公事方御定書」が出され、刑罰についても大きく見方が変わり、従来の見せしめの刑罰から、改心させ反省させるという少し見方を変えた法へと改められたのです。

 

上巻は刑事と行政に関する法

下巻は刑法と刑事訴訟法

で成り立っていて、大岡忠相らがその編纂にあたりました。

 

この法典は秘密法典だっったと言うこともあり、各奉行所、京都所司代、大坂城代のみが知ることができました。

 

大名や商人の統制

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幕府による財政確保は大名や商人にも及びました。

 

大名から1万石につき100石の割合で米を収めさせる代わりに、参勤交代の江戸への在府を半年にするといった上米の制や、足高の制による人材登用など、大名と経済の安定をはかったのです。

 

さらに商人には、商業統制のため株仲間の公認などがされました。

幕府は、株仲間の公認により、運上金や冥加金といった税金を納めさせ、独占的営業権を商人に与えたのです。

 

まとめ

こうした経済活動の甲斐あってか、吉宗の晩年には年貢からの徴収率が江戸期最大の収入高となり、経済政策としては、成功したかのように思いました。

 

しかしながら、こうした年貢への政策は、農民への負担が大きく、一揆や打ちこわしといった騒動を引き起こすきっかけとなったのです。

 

 

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享保の改革では、財政難をいかに克服していくかに注目されましたが、他にもキリスト教関係を除いた漢訳洋書の輸入を緩和したり、米以外の生産物を作ったりと、さまざまな改革がなされました。

 

江戸期ではそれに引き続き、社会の改革が進む時期でもありました。それについてもまた次回で取り上げたいと思います。

 

ではここまで読んでくださりありがとうございました!

 

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