にじのかけら

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【古墳時代】その特徴とは古墳と副葬品について

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古墳時代といえば名前のまんま、古墳づくりがメインとなった時代です。

3世紀末〜7世紀末頃までと、長い時代でもあり、前期・中期・後期と区分されていました。

 

それぞれに特徴があった古墳時代。その変遷を一つづつ見ていきましょう!

 

 

古墳の発生

古墳が発生したのは3世紀〜4世紀にかけてくらいでした。

はじめは大和周辺で起こった高塚古墳と言われるもの。

 

高塚古墳とは、丘陵地や盛土をしたところに葺石で表面を覆った作りをしたものです。

 

古墳の特徴

時代を追うごとに規模が大きくなり、その意味合いや形状は変わっていくのが特徴になります。

 

前期古墳

 

◆前期◆

・竪穴石室で、丘陵などそのままの立地を使って作られた

・近畿中心で、司祭者的性格をもつ

・副葬品は鏡、玉、土師器など

 

大和朝廷時代である中期になると、規模が大きくなり始めます

時代背景が少しずつ変容していく過程で、政治的、軍事的な色彩が強くなります。

 

中期古墳

 

◆中期◆

・平地に大規模な前方後円墳

・竪穴石室で石棺の埋葬するための施設も整備した

・副葬品は武具、馬具、鉄製品、須恵器など

 

副葬品からして、軍事色強めな事がわかりますね。

この時代の古墳の代表的なものとして、応神陵・仁徳陵などがあります。

 

後期古墳

後期では大規模な古墳というより、小さくても数多めに作られていきました。その理由としては、大和政権の政治体制が変わってきたからです。

役職の数が増えた事により、各地の官人も増加したため、小規模な古墳が多く作られたのです。

 

 

◆後期◆

・横穴式石室の円墳・方形墳

・群集墳が各地にできる

・副葬品は工芸的装飾品。生活必需品など

 

またこの頃には、石室の内部の壁に彩色を施した、装飾古墳も現れました。

時代を経るごとに、古墳の意味合いや形状が変わっていったのがよくわかります。

 

また、この頃になると、石人・石馬などで古墳の周囲を囲むはにわなども配置されました。土砂崩れを防ぐ形象はにわなども作られ、様々な工夫がされていたのです。

 

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副葬品

 

 ここで古墳と一緒におさめられる副葬品についてです。

 

副葬品にもその時代によって特徴がありました。

 

鏡・玉

前期には鏡・玉・土師器など、どちらかといえば呪術的な特徴があったように思えますね。鏡も国産のものもあれば、漢や三国など外国製の物も多く出土していました。

 

卑弥呼の時代にあったといわれる「三角縁神獣鏡」などが有名ですよね。

この鏡は、縁が三角形の断面となっていて、神と獣の文様があしらわれた、この時代の背景を物語るのに、とても大事な資料となっています。

 

玉は半透明のもので、勾玉・管玉・玉杖(きょくじょう)といったものがありました。

勾玉なんかは今でもアクセサリーとして、まだ馴染みがありますよね。

このころは、緑色の碧玉製のものが多くつくられました。

 

刀剣・三種の神器

片側だけに刃がある刀。両側に刃があるものを剣として、鉄製の物が多かったといいます。

 

そして三種の神器は今も皇室に関係の深いものとして扱われています。

最近では「即位の礼」でも三種の神器が取り上げられていましたね。

 

・八咫の鏡(やたのかがみ)※伊勢内宮

・草薙の剣(くさなぎのけん)※熱田神宮 

・八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)※宮中

 ※それぞれ奉納されている場所

 

鏡・剣・玉。副葬品として納められていたものと同じですね。

天皇家と関りが深かったことがわかります。

 

まとめ

古墳時代の特徴として、はじめ権威のある有力なもののために、大規模でその力の象徴としてつくられていました。そこから多くの者たちが、小さく数多くつくる傾向が出てきたことで、埋葬方法や、副葬品も変容していったのです。

 

特に副葬品の種類や数をみてみると、埋葬された人の性格や権力の大きさが分かったといいます。

 

こうして古墳時代は埋葬方法や性質を変えつつ、次の時代へとステップアップしていったのでした。

 

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