にじのかけら

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【平安京】どんな都だったのか。すぐにわかる!簡単に解説します!

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今日は「鳴くよ(794年)ウグイス平安京」の平安京についてのお話だね!

そうそう!そんな覚え方もあったよね。おなじみ平安京について!頭がパンクしない程度に簡単にお話するよっ!

 

 

 

平安京はいつ?どこで?誰が作ったの?

 

平安京とは 

・794年 桓武天皇が和気清麻呂の献言によってつくられた

・場所は山背国葛野郡、宇太村に遷都される。現在の京都。

 平安時代といえば、天皇や貴族が中心となって政治がとり行われていました。

794年に京の都として平安京が置かれ、ここを中心として律令制→摂関政治→院政と、時代は流れていきました。

 

12世紀の平氏が政権を獲得するまでの398年もの間、平安時代は続いたのです。

 

平安京が遷都されたのは794年。

桓武天皇によりつくられました。

 

そして政治を行う上でふさわしいとされた土地として選ばれたのがここ葛野の地でした。

 

平安時代に変遷された歴史書『日本紀略』によると、

「葛野の地は山や川が麗しく四方の国の人が集まるのに交通や水運の便が良いところだ」

 

という表記があります。

この地が選ばれたのは、交通の便や、生活、人の流れが良いという理由で選ばれたのですね。

 

平安京のつくりはどんなもの?

さて、平安京はどのくらいの大きさでどのような建物があったのでしょうか。

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「Wikipediaより」

①平安京の大きさは東西約4.5㎞、南北約5.2㎞

②都市全体が四角形な条坊制

③左右対称の都市。

都市のど真ん中である朱雀大路を挟んで、左京と右京にわかれる。

④街全体が碁盤の目となっている。

⑤都の正門となる羅城門があった。

 

まさに今現在ある京都市内そのままですね。

やたら一方通行の多い京都市内は碁盤の目ですし、左京区、右京区とありますし、通り名も現在とかわらず!わりと平安時代そのままの流れで都市が今も存在しています。

 

平安宮の中にはどんなものがあったのか

都の北部の真ん中に造営されていました。

政治の中心となっていた大内裏には、数々の諸官庁があり、御所もここに存在していたのです。

 

・内裏      紫宸殿、天皇の日常生活の行われる居住である清涼殿があった

・八省院   即位礼など、国家行事をおこなう

・豊楽院   大規模な宴がおこなわれた

・真言院   仏事にかかわる事がおこなわれた

・中和院   神事をおこなう

・政庁       中央官庁である、二官八省がある

・衛府  宮の警備をおこなう

 

といった、各庁が運営をとりおこなっていました。

 

城塞都市ではなかった

この大内裏の周りに14個の門が存在してはいましたが、いわゆる羅城、つまり都市を取り囲む城壁は作られませんでした。

 

あったのは、朱雀大路の南に都の正門として建てられていた「羅城門」くらいだったので、城塞都市といわれるものではありませんでした。

 

その理由としては、中国から伝えられた、「陰陽道」によるものではないかと考えられています。

 

北に玄武・東に青龍・西に白虎・南に朱雀

というこの四神相応の考え方を元に都市計画は進んでいったのです。

 

この都自体も、中国の洛陽城や長安城をベースに考えられたものだったので、中国からの思想がたくさん取り入れられていたのですね。

 

そして最近では、羅城門復元しよう!というプロジェクトなんかもありますので、くわしくはこちらでも書いています。

 

daisyribbon.com

 

東寺と西寺

羅城門を挟んで東側に「東寺」、西側に「西寺」官寺として置かれていました。

京中にはこの東寺・西寺以外に寺院の建立は認められなかったため、とても貴重な存在であったのです。

 

ここでは僧侶の学びの場である講堂や、天皇の法要、僧籍を管理する役場的寺としての役割もあり、国家の繁栄を願う寺の一つでありました。

 

東寺の五重塔などは今も有名で、観光地として人気がありますが、西寺の方は講堂、塔共に焼失してしまい、残念ながら、その後再建することはありませんでした。

 

まとめ

京の都として発展していくはずであった平安京は、室町時代に起こった11年間にも及ぶ内乱「応仁の乱」の後、大部分が壊滅的となってしまいました。

 

しかしその後、豊臣秀吉の都市建設によって、今現在の様相に落ち着き、794年~1869年(明治2年)もの間、京の都は日本の首都として存在し、今日の京都の基礎となったのですね。

 

 

ここまで読んでくださりありがとうございました!

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