にじのかけら

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【名言】武将の残した名言にはどんな意味があったのか。

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武将が死に物狂いで生きてきた時代。自分の仲間、そして自分自身を奮い立たせるために掲げた言葉がたくさんあります。

 

織田信長の「天下布武」

柴田勝家の「甕割柴田」

島津義弘の「鬼石曼子」

上杉謙信の「毘沙門天」

武田信玄の「風林火山」

山中鹿之助の「七難八苦」

加藤清正の「西国無双」

毛利元就の「百万一心」

などここには四文字熟語ばかりですが、いくつかあげてみました。

 

その中でも有名どころであり、私自身が気になっていた「天下布武」「風林火山」「百万一心」について語っていくこととします。

 

 

 

織田信長の掲げた「天下布武」とは

 自然, 風景, Kaçkars, 山, 丘, 草, 緑, 平和, 草地, 雲

 

イメージとしては、国を治めて天下を我のものにするぞっ!という信長の勢いのある言葉のように思えますが、掘り下げてみてみると、ただそれだけではありません。

 

まず「天下」とは

「山城国」「大和国」「河内国」「和泉国」「摂津国」のことを指し、全国まるまる征服するぞっという意味合いではなく、現在の京都・大阪・奈良・兵庫を平和にするという意味だったのです。

 

天下とは言っても、全国支配ではなく、あくまでも、畿内の秩序を目指したものだったのです。

 

なぜ畿内オンリーだったのか

 

信長が使っていた朱印(ハンコ)には「天下布武」の文字がかかれており、他の武将に送る手紙などにも普通に使われていました。

もちろん信長は天下統一を目指してはいましたが、「天下布武」という朱印を使い始めた時には、まだ尾張と美濃の2か所しか領有していない、駆け出しの武将だったのです。

 

もし「天下布武」が全国を支配し、武将に圧力をかけるという意味合いであれば、自分はおろか、畿内の平和なんて言ってる場合ではない。

なんせ、まわりには上杉・浅井・朝倉・本願寺勢といった強力な勢力があったので、全国支配するのは私だ!と言って怒らせるメリットなんて全くなかった。

 

なので、畿内の秩序にこだわったのは、将軍、つまり足利義昭上洛の際に畿内を平定しておきたかった。というのが目的であったからです。

 

「布武」とは

空, 自由, 幸福, 安心, 祈り, オープンアーム, 称賛, 希望, 平和

 

「武」という文字の中には、「戈」(ほこ)と「止める」という文字が合体してできている漢字。本来、「戈をもって争っている人を止める」という意味があり、「戦争をやめる」つまり信長は、

 

争いは止めて、平和な国をつくろう

 

と思っていたわけです。武力をもってしらしめ、全国統一っというわけではなかった。

 

七徳の武

 

古代中国の『春秋左氏伝』を出典とする言葉で

①暴を禁じる

②戦をやめる

③大を保つ

④功を定める

⑤民を安んじる

⑥衆を和す

⑦財を豊かにする

 

と記されており、「武」には

この七つの目的を備えたものが天下を治めるのにふさわしい

という意味があった。信長はこれを目指していたのだろう。

 

 信長の目指したもの

 

つまり信長は、天下統一をめざしてはいたが、まず畿内(天下)を、そしてここに幕府を再興(布武)するぞ!という信念から、「天下布武」という言葉をつかっていたのです。

 

武田信玄の掲げた「風林火山」とは

馬, 兵士, 戦士, 戦争, 戦い, 軍事, 歴史, ナイト, シルエット

 

軍旗にかかれた、印象的で、この旗をみた敵は一瞬にしてひるんだという14文字の言葉。

…14文字?と思いましたよね。そう「風林火山」とは実際に軍旗に書かれていたわけではなく、後世の人が略して表したものです。

実際の言葉は

 

①疾如風 疾(はや)きこと風の如く

②徐如林 徐(しず)かなること林の如く

③侵掠如火 侵し掠(かす)めること火の如く

④不動如山 動かざること山の如し

 

といって、戦いについて書かれた古代中国の文献「孫子」にのっているものです。

それぞれの意味は

 

①攻めるときのスピードは風のように早く

②敵に気づかれることなく準備してその機会を待つ

③侵略する時は勢いが大事

④敵の挑発に負けず、じっと構えて待つ。

というもので、つまり実際に軍旗に掲げられていた文字は、「風林火山」ではなく、

疾如風 徐如林 侵掠如火 不動如山

だったのです。長っ!

 

その時々の状況に合わせて、それに応じた行動をとる。ということを徹底していたのがうかがえますね。

 

毛利元就「百万一心」とは

 

最後に、毛利元就が吉田軍山城の拡張工事の際に、人柱のかわりとして使用していた石碑に書かれていた言葉について。

この石碑は、高さ6尺巾2尺の、なかなかに大きな石に書かれた言葉で、

百と万の字を崩すと、”一日一力一心”と読めるように書かれていました。

 

”日を同じくし、力を同じくし、心を同じくすれば何事も成し遂げられる”

 

という意味で、元就にとっては人生の指針というべき言葉となっていたのです。

現代でも心打つものがあり、元気が出て前向きになれる1文です。

 

まとめ

 

武将が使っていた名言とも言える人生の指針。言葉は知っているけれど、はっきりした内容は知らなかったかもしれません。心を引き付ける魅力ある武将だからこそ、人生のテーマである目的を達成させるために、わかりやすく印や軍旗、石碑などに記し、それを目標としたのでしょう。

 

いろんな角度で武将を見てみると、また違った武将像が見えてくるかもしれませんね。

 

ではここまで読んで下さりありがとうございました。

 

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