にじのかけら

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【昔のスイーツ】昔の人達はどんなお菓子を食べていたのか。時代別お菓子の発展

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昔の人はどんなスイーツを食べていたんだろう?

和菓子の元祖がたくさんでてくるよ!

最近では古代のスイーツとして、「蘇(そ)」というお菓子が話題になりました。

 

コロナ下で学校休校となり、給食として出す予定だった牛乳が、あまりにあまったため、牛乳を使ったシンプルなお菓子「蘇」に注目が集まったのです。

 

「蘇」はもともと、上流階級の食べ物であり、作るのにもかなりの時間を要します。

 

当時はかまどを使い、ひたすら乳を煮詰めて撹拌させ、チーズのようになったものを冷まして食しました。

 

現代では、電子レンジなどの使用で、約40分ほどあればできてしまうという、便利な時代になった。

しかし、レンジを使わず、一から作ろうと思うと、ひたすら2~3時間かき混ぜ続けるという肉体労働。

これだけの手間がかかるのだから、当時の人々も、かなりの時間を要したでしょう。

 

 

縄文クッキー

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縄文時代になると、「縄文クッキー」あるいは「縄文パン」というものが作られるようになった。

長野県の曽利遺跡というところで、クッキーのようなものが出土したのが始まりで、その後様々な場所で、このようなお菓子が見つかるようになった。

 

縄文クッキーとは、ドングリや栗などの木の実をすり潰し、その粉に卵や塩などを加えて練って作られたものだと言われています。

 

縄文時代は狩りや木の実を取って食べていたので、その獣肉も使い、ハンバーグのような形にして食べたとも言われています。

 

その形状から、「縄文クッキー」「縄文パン」と言われるようになったんですね。

 

弥生時代には餅菓子も

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弥生時代に入り、水稲耕作が始まると、米を使ったお菓子が作られるようになりました。

米を水につけてふやかし、それを砕いて型で固めてつくる、「餅菓子」が作られるようになりました。「餅菓子」といえば、今で言う羽二重餅や、赤福など、あんのはいったイメージがありますが、砂糖の入ったあんはまたまだでてきません。

 

この時代は穀類が主で、他に蒸し団子なども作られました。

 

平安時代「やはり女子はスイーツ好き」

この時代も米や小麦を主原料としたお菓子がほとんどで、年中行事や宮中行事などで主に用いられていました。

 

「枕草子」には様々なお菓子が登場しており、

・野菜や卵をもちでくるんだ「餅餤(へいだん)」

・ついた餅を平たく伸ばした「ひろき餅」

・青麦をいって臼でひき、その後糸状にひねった「青ざし」

などが書かれていました。

 

そしてここで砂糖が入ってくることになります。

754年鑑真により、砂糖も一緒に中国から持ち帰ってきました。まだ砂糖は貴重品であったため、日常には使われることはあまりなく、薬として初め使われていました。

 

砂糖が一般的に使われるようになるのは室町時代以降になります。

 

「唐菓子」の登場

仏教の教えと共に、中国のお菓子も一緒に伝来してきました。

穀類を粉にし、それをこねて油で揚げ、甘味をつけたお菓子が作られるようになったのです。

 

甘味といっても、砂糖が使われたのではなく、

・ツタの汁を煮詰めて作る「甘葛(あまづら)」

・米もやしのデンプンから作る「飴」

・ハチミツ

・水飴

などを使い、甘味を作っていました。

 

唐菓子は今でも神饌として使われています。

 

「点心」お茶の文化

鎌倉時代に入ると、臨済宗の開祖栄西によって、宋から「飲茶」の習慣を持ち帰ってきました。

 

この時のお茶のお供は「茶の子」とよばれるもので、赤飯や漬物、昆布に椎茸といった、お菓子というよりも軽食に近いものがだされた。

 

その後、禅宗文化の拡大と共に、間食としての飲茶の習慣が広がるきっかけにもなったのです。

 

「茶道」とお茶菓子

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室町時代から安土桃山時代ころになると、利休による、茶道が隆盛してきました。

 

茶の湯で本格的にお菓子は出されるようになり、

栗やしいたけ、柿、煎餅、ふやきなど、1回の茶会で3~4種ほどのお茶菓子がでててきました。

 

この頃砂糖も少しづつ使われるようになり、大豆と黒砂糖を使った蒸し羊羹、京都では練り羊羹、半生菓子、干菓子といった、和菓子も発展していくこととなったのです。

 

あんや寒天を使ったまんじゅうなどは、江戸以降のことになります。

 

砂糖を使ったお菓子

室町時代から江戸時代にかけて、南蛮から多くのお菓子が輸入されることになります。

ポルトガル、中国、オランダなどから砂糖が大量に持ち込まれ、一気にこの甘み成分がお菓子界にも影響を与えられることとなったのです。

 

今まで穀物や木の実を砕いて、混ぜて焼くか蒸すかで作っていたお菓子界に、突然の砂糖という甘味料。

カステラ、ボーロ、金平糖、カルメラ…どれも美味しそう!

急に洋菓子が登場したね。当時の人はびっくりしただろうね。

 

 

砂糖の登場で、普段の食事にも影響を与えられ、江戸時代後期には煮物なども砂糖を使って作られるようになったのです。

 

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まとめ

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こうして、初め穀類を練って、焼いたり蒸したりするだけだったお菓子は、海外から持ち込まれた文化などによって、発展を遂げました。

 

昔ながらの技法で今でも神事などでは登場することもあり、和菓子の文化はこういったお菓子文化があって、発展したんだなということがわかります。

 

明治以降は、海外からさらにドロップやキャンディ、チョコレート、ビスケットなど、が輸入され、洋菓子が一気に広まることとなります。

 

このように日本のスイーツは変化をたどったのですね。

人々の暮らしと技術の進歩によってもたらされた今のお菓子。今日も楽しみながらお菓子をつまみたいものです。

 

ここまで読んで頂きありがとうございました!

 

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