にじのかけら

歴史大好きなママブログ。精一杯どんなことでも楽しんで生きぬいていこう。

【エコバッグとゴミ問題】レジ袋有料化で本当に世界はきれいになるのか

令和2年7月1日から始まったレジ袋有料化

 スーパー、コンビニ、ドラッグストア…どこにいくにもエコバックを持っていかなくては。という意識が生まれたのではないかと思います。

その理由は、

 

①無料でもらえていたレジ袋が有料化になったから。

②エコで地球環境に良さそうだから。

 

こんな理由が多いと思います。

家族の食料品を週1で買い物する私にとっては、1回で買い物する量が多いので、今回のレジ袋有料化で、一回で必要なエコバックの量が3~5個必要となってきます。

 

コロナの影響で、少人数で、買い物の頻度も少なめにともいわれていたので、できれば2人で1回にまとめるようにしていました。

 

そんな中でのレジ袋有料化。実際レジ袋を削減することによって本当に地球環境は良くなるのか。エコバックにして世界は救えるのか。

について考えてみました。

 環境保護, 自然保護, 生態学, エコ, バイオ, ガラス玉, フォレスト, 緑

 

なぜレジ袋を削減することになったのか

そもそも何故レジ袋が注目されることになったのか。いま世界では続々とレジ袋の削減、エコ化の方針をうちだしており、
イタリア、韓国、中国、台湾、香港、フランス、アメリカなどたくさんの国でレジ袋有料化が実施されている。
 
理由としては環境保全のため。プラスチックごみによる環境汚染が懸念されており、その対策としてレジ袋に注目が集まったようです。
 
プラスチックといっても、レジ袋の原料は石油からできているポリエチレン
海洋プラスチックごみの内訳で一番多いとされているのは、漁網・ロープ。飲料ペットボトルなど。
レジ袋などのポリエチレンはというと、わずか0.3%ほど。環境保全を考えるのであれば、レジ袋削減も視野にいれつつ、もっと他に気を付けることがあるのではないだろうか。
 
そんな中日本は、1人あたりのプラ容器包装の廃棄量が世界第2位、と高い水準となっています。
 
 

エコバックは本当にエコになるのか

 

https://www2.mst.dk/Udgiv/publications/2018/02/978-87-93614-73-4.pdf

デンマークでの調査によると、

 

布→840回
コットン→2400回
紙→11回

 この回数エコバックとして使えば、プラよりエコになるといっています。

今持っているエコバック。洗い続けて使い倒して、この回数使いますか?

週3回使うとしてもこの回数。布だと5年以上。コットンだと16年以上…

 

飽きずにきれいに使うこと…私には難しいように思います。

 

レジ袋を使う時、私たちは購入した商品を入れることはもちろん、その後様々な用途につかっています。耐水性に優れているので、脱いだ水着やタオル・傘等濡れたものをいれたり、冷やしたペットボトル、そして最終ごみ袋としてくりかえして使うことができます。

日常の中でもわりと便利で効率的な役目を果たしているように思いますね。

 

エコバックの素材はナイロンやポリエステルが多く、レジ袋などのポリエチレンを減らすのはもちろんだけれども、人間が作り出す素材、ポリエステルを節約することの方が優先的であるように思う。

 

前述もしているけれど、レジ袋の原料であるポリエチレンは、海洋性プラスチックごみの0.3%ほど。

思いのほか環境を汚していて大変だ!というイメージが少なくなるような気がします。

 

対象でないレジ袋

無料で配布しても良く、環境性能が認められたレジ袋として

 

①フィルムの厚さ50マイクロメートル
②海洋性分解性プラスチック配合率100%
③バイオマス素材配合率25%以上

 が、有料化対象外となっています。

 

海洋性分解性プラスチックは、水と二酸化炭素に完全に分解できるとされているので、つまりはごみにはならないということ。

バイオマスプラスチックはじゃがいもやとうもろこしなどの農産物、動植物や生物の遺骸などでつくられている。

自然にかえるというところで評価されているようです。

 

 

まとめ 一人一人が取り組むべきこと

結局のところ、自然環境の保全という観点から考えると、レジ袋くらいでは対策として不十分ではないかと思われる。

プラスチックごみを減らすには

①使わない努力をする
②使い続ける
③再利用する(リユース)
④詰め替える(リフィル)

国民一人一人が、このような取り組みをあたりまえにしていく、意識改革が必要であると思う。今回のレジ袋有料化でよかったことは、自身が環境問題について深く考えて、知るきっかけを与えてくれたこと。それが一番有効的であったのではと思っている。