にじのかけら

歴史大好きなママブログ。精一杯どんなことでも楽しんで生きぬいていこう。

【武家諸法度】とは江戸時代の武士の心得はどんなものだったのか

f:id:Daisyribbon:20201126085154p:image

江戸時代の武士の為につくられた法律「武家諸法度」。鎌倉時代の御成敗式目から発展して随分内容が詳しく変化してきたよ!

武士に対しての決まり事だね!なんだか厳しそう…

1615年(元和元)に徳川秀忠の時に京都の伏見城で発布されました。

目的としては、諸大名統制の為で、将軍の代替わりの度に追加で修正されていたのも大きな特徴でありました。

問題がさらに出てきたり、イマイチだった政策を見直したりと、少しづつ改訂されていったのです。

 

 

武家諸法度の目的とは

徳川家康の似顔絵イラスト

 

ではその武家諸法度、その目的とは、「諸大名の統制」ということでありました。

ルールをしっかりひいて、武士に勝手をさせない。幕府がすべてを取り仕切り、政策を行う上で、わかりやすく大名たちに念を押したのがこの決まり事でした。

 

将軍の代替わりごとに加筆されていきますが、基本の法律があり、その後、三代家光の寛永令・四代家綱の寛文令・五代綱吉の天和令など、どんどん法律は増えていきます。

 

どんな法律だったのか。大名の生活がかわった

 

基本法

丸岡城のイラスト

最初につくられた元和令。 

元和令 

・文武弓馬。ひたすら武芸に励みましょう

・酒におぼれて遊びすぎるな

・新しい城を勝手にたてるな。石垣が壊れたら奉行所に申し出ましょう

・結婚は幕府に許可を得てください

・侍は倹約しましょう

・500石積み以上の船をつくらないで

・服装も分相応に

 

このようなことが主に書かれていました。

とにかく武士として、恰好から私生活まで、侍らしさを求めるようなことも決められていたようですね。城もたくさん建てられず、倹約の徹底や大きな船を造ることも許可しませんでした。

 

また、城については1615年に、大名1人あたり1つの城しかもてませよ。という一国一城令をだして、2つ以上もっている大名には手放すように命令をだしたのです。

 

武士に勝手な動きをさせないための事前策でもあったかのようです。

ある程度コントロールできるところはしていたのですね。

 

寛永令

やぶさめのイラスト

三代家光の時の改変では、

寛永令 

・参勤交代の制度化

・鎖国対策としての大船建造の禁止

・幕府の許可なく私設の関所を置かない

 

という追加でした。参勤交代についても以前語っておりましたのでご参考までに

 

daisyribbon.com

参勤交代については、とにかく大所帯で大金を使い、身分の高い大名などは随分と大掛かりな移動をしたもんでした。もちろん大名に忠誠を誓わせることなどもありましたが、目的はほかにもありました。

 

妻子を江戸に住まわせて人質としたり、財政力を弱めさせるっことによって、大名は反乱を起こしにくくなる。そういった狙いもあり参勤交代は一層義務化されることになったのです。

 

寛文令と天和令

 

寛文令ではキリスト教の禁止、不孝者の処罰など。

そして天和令では

天和令 

・末期養子の禁の緩和

・殉死の禁止

・学問、武芸、忠孝になお一層励み、礼儀正しくあれ

 

といった内容でした。

 

とにかく幕府を通して許可を得なければいけなかった。そんなイメージですよね。

 

禁中並公家諸法度

公家のイラスト

武家所法度は武家の習いとして、存在しましたが、朝廷や公家の基本統制としてあったのが、この公家諸法度です。

1615年に発令されて、17条の項目がありました。

 

内容としては、

公家諸法度 

・天皇の修得している教養が学問である

・武家に官位を与えたり、改元できるのは幕府である

 

といったもので、本来朝廷がすべき権限を幕府側、つまり将軍が決めるよ!ということだったのです。

徳川一族の時代は長かった。この法律は、幕末まで続くこととなりました。

 

まとめ

武家諸法度・禁中並公家諸法度ともに、もとは徳川家康が金地院崇伝に起草させて発布したものです。

崇伝は家康に仕えた、臨済宗の禅僧で「黒衣の宰相」ともいわれ、政治の場で大いに活躍した人物です。

 

そして寺院はこれらとは別に、諸宗本山寺諸法度(寺院法度)がつくられていました。

鎌倉時代にも公家や武士など身分によって法律は分けられていましたが、江戸時代においても、それぞれにルールがつくられていたようです。

 

こうしてそれぞれに様々な決まり事を念頭に置き、政治体制が整えられたのですね。

 

daisyribbon.com

 

 

にほんブログ村 歴史ブログ 日本史へ
にほんブログ村